小松暢の生い立ちから死因まで!結婚歴は2回で子供はいなかった?

小松暢の生い立ちから死因まで!結婚歴は2回で子供はいなかった? タレント

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NHK朝ドラのモデルとなった漫画家やなせたかしさんの妻の小松暢さん。

やなせたかしさんと結婚するまでの小松暢さんがどんな人生を歩んできたのか、気になりますね。

この記事ではやなせたかしさんの妻、小松暢さんの出身地や学歴、やなせたかしさんとの出会いや子供につていまとめています。

 

この記事でわかること

  • 小松暢の生い立ち
  • 小松暢の学歴
  • 小松暢の結婚歴
  • 小松暢の職業
  • 小松暢とやなせたかしの出会い
  • 小松暢の子供
  • 小松暢の死因

 

小松暢の生い立ち

小松暢は大阪府大阪市の出身です。

  • 本名: 小松暢(こまつのぶ)
  • 旧姓: 池田暢(出生名)
  • 生年月日:1918年
  • 死没年月日: 1993年8月(75歳)
  • 出身地: 大阪府大阪市

小松暢は1918年(大正7年)に大阪市に誕生。

 

小松暢の父親は高知県安芸市の出身で、大阪に渡り、当時の商社「鈴木商店」に勤務するサラリーマンでした。

鈴木商店は樟脳や佐藤の貿易商として世界的な拠点を確立し、鈴木財閥の中核として砂糖、製粉、たばこ、ビールなどの事業を展開していました。

そのため、小松暢の父親は世界を転々としながら精神的に仕事に打ち込んでいたようです。

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小松暢の学歴

小松暢の学歴は、現在の大阪府立阿部野高等学校ですが、小松暢が当時通っていた時の名称は旧姓阿部野高等女学校でした。

 

現在の大阪府立阿部野高等学校の偏差値は55。

卒業生には、人気アナウンサーだった逸見政孝さんらがいます。

女学校時代の小松暢は足が速く、「韋駄天(いだてん)おのぶ」と言うあだ名がついていたと言います。

「韋駄天」とは、仏教用語で「よく走る」と言う意味です。

活発な女学生だった小松暢が浮かんできます。

 

大正生まれの女性が高等学校まで進学するのは、当時としてはかなり裕福な家庭でなければ難しい時代だったと思います。

父親が商社マンだった観点からも小松暢の家柄は裕福な環境にあったようです。

また、商社マンと言う仕事柄、教育を大切にしていたこともうかがえます。

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小松暢の結婚歴

小松暢はやなせたかしとの結婚が初めてではありませんでした。

やなせたかしとの結婚は2回目で再婚だったのです。

 

小松暢は上京してから、日本郵船勤務だった小松総一郎と出会います。

小松総一郎は高知県出身でした。

小松暢の父親のルーツも高知県だったことから意気投合したのでしょうか。

何か通じるのもがあったのでしょう。

 

小松暢は小松総一郎と結婚。

しかし、結婚後すぐに夫の総一郎は徴兵で召集されてしまいます。

夫が召集された小松暢は、父親の出身地、高知県に疎開。

終戦を高知県で迎えます。

 

出征した夫総一郎は無事に帰還しますが、間もなくして病死。

小松暢は未亡人となります。

小松暢と総一郎の間に子供はいませんでした。

小松暢の職業

やなせたかしと結婚する前の小松暢の職業は新聞記者でした。

後に、新聞記者から代議士の秘書に転職しています。

 

夫に先立たれた小松暢は1946年に高知新聞社の求人に応募。

当時、応募者31人の応募者から女性2人が記者として採用されました。

小松暢はその女性記者の2人のうちの一人だったのです。

 

高知新聞社に入社後の小松暢は「月間高知」の編集者として働き始めます。

 

高知新聞社での小松暢の仕事ぶりはバリバリだったそう。

ジープを乗り回し、焼け地を取材するために走り回っていたと言います。

 

また、趣味はスキーや登山で体を動かしたり動き回ることが好きだったようです。

想像しただけでカッコいい!と思わず言葉が出てしまいそうになります。

小松暢とやなせたかしの出会い

小松暢が高知新聞社に入社してから3か月過ぎたころに、やなせたかしが入社しました。

やなせたかしは小松暢と同じ部署に配属。

小松暢とやなせたかしの机は向き合っており、やなせたかしは小松暢に一目惚れだったと言います。

小松暢は美人でも有名だったとか。

 

当時(1950年代後半)の小松暢とやなせたかしの画像がこちら。

小松暢出身地

出典:高知新聞プラス

モノクロですが、小松暢の美貌が伝わってきますね。

 

高知新聞社で働いていた小松暢は、「代議士の秘書になる。」と言い、高知新聞社を退社。

単身で上京します。

 

小松暢の後を追うように一年後、やなせたかしも上京。

東京で小松暢と合流し二人は結婚に至ったのです。

 

やなせたかしは、小松暢と結婚と同時に漫画家を目指しています。

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小松暢の子供

小松暢とやなせたかしの間に子供はいません。

全夫、小松総一郎との間にも子供はいませんでした。

小松暢の死因

小松暢は1993年11月22日に永眠しています。

奇しくも11月22日でいい夫婦の日ですね。

 

小松暢の直接の死因は頭部血管の破裂でした。

ただ、小松暢は乳がんと診断されており、既にステージ4と診断。

放射線治療の副作用で内出血や貧血が悪化し、輸血を行っている時に頭部の血管が破裂してしまい、直接の死因となってしまいました。

小松暢75年の人生に幕を下ろしました。

 

晩年の小松暢とやなせたかし

小松暢出身

出典:女性自身

お年を召しても品があり、美人は変わりないですね。

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まとめ・小松暢の出身地や学歴・職業について

小松暢の出身地やがくれき、職業、結婚歴について紹介しました。

小松暢は大阪府大阪市の出身で、結婚歴は2回、子供はいませんでした。

また、職歴は新聞記者と代議士の秘書を務めており、才色兼備を備えた美人な女性でした。

カッコいい!の一言に尽きるでしょうか。

 

やなせたかしと小松暢のゆかりの地へ行ってみませんか?

アンパンマンミュージアム周辺の観光情報はこちら

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