日本人離れしてハーフっぽい印象の森崎ウィンさん。
森崎ウィンさんはハーフではありません。
この記事では森崎ウィンさんの両親について紹介しています。
森崎ウィンはハーフじゃない
どことなくエキゾチックな雰囲気が漂う、森崎ウィンさん。
見た目は殆ど日本人のようですが、ハーフっぽさも感じますよね。
森崎ウィンさんはハーフではありません。
そして生っ粋の日本人でもありません。
森崎ウィンさんはミャンマー人の父親と母親を両親に持つミャンマー人です。

出典: https://39mag.benesse.ne.jp/lifestyle/content/?id=74124
森崎ウィンさんのプロフィールです。
- 森崎ウィン
- 本名: ウィン・チョウ・トゥー
- 生年月日:1990年8月20日
- 出身地: ミャンマー・ヤンゴン
- 身長: 174センチ
- 血液型: O型
- 所属事務所: スターダストプロモーション
- デビュー:2007年~
森崎ウィンさんの本名は、ウィン・チョウ・トゥーさんで、「森崎ウィン」は芸名になります。
名前も「森崎ウィン」と日本語の漢字とカタカナなので、名前からしてもハーフなのかな?と思われる理由のようです。
「森崎ウィン」の芸名は森崎ウィンさんをスカウトした事務所「スターダストプロモーション」が名付けたそうです。
次に森崎ウィンさんの両親の職業について紹介します。
森崎ウィンの両親の職業
森崎ウィンさんの父親は若い頃は船の整備士をしたり貿易関係の会社務めなど、世界各地を転々しながら仕事をしていたそうです。
結婚して森崎ウィンさんが誕生してからは日本に来日。
東京都内でミャンマー料理店を開いています。
森崎ウィンさんの父親が経営するミャンマー料理店は場所や名前など公表されていません。
都内では高田馬場周辺にたくさんのミャンマー料理店が集まっているようですが、どうでしょうね。
森崎ウィンさんの母親は、父親と共に来日。
母親は日本に来てからは、東京都内の会社で事務職をしていたと言われています。
最初から日本語が出来たかどうかは定かではありませんが、遠い異国の地で事務職としての職に就けたということは、かなりの逸材であったのではないでしょうか。
次に森崎ウィンさんの少し変わった生い立ちを紹介します。
森崎ウィンの生い立ちが少し変わっていた
ミャンマー人の父親と母親を両親に持つ森崎ウィンさん。
ミャンマーで誕生していますが生まれて間もなくして、父親と母親は森崎ウィンさんを母方の祖母に預けて日本に行きます。
早い話が、出稼ぎでした。
幼なかった森崎ウィンさんを祖母に託しミャンマーから離れることは断腸の思いであったことでしょう。
森崎ウィンさんの両親は日本で働き、祖母の元に仕送りをしていたそうです。
日本からの両親の仕送りがあったため、森崎ウィンさんと祖母の暮らしは比較的裕福な暮らしが送れていたと言います。
また、森崎ウィンさんの祖母は若い頃にアメリカで働いていた経験があり、英語が堪能だったそう。
その英語力を生かして、ミャンマーで大人たちに教室を開き英語を教えていたそうです。
当時は、マドンナの曲を歌いながら楽しく英語を教えていたと言います。
そんな森崎ウィンさんの祖母は地元では周囲の人から慕われ、有名だったとのこと。
そして、森崎ウィンさんは「大先生の孫」と呼ばれていました。
森崎ウィンさんは祖母の影響で英語が堪能になったそうです。
平和で穏やかな祖母との暮らしは、弟の誕生と共に去ることになります。
母親は日本で弟を身ごもり出産のため、ミャンマーに一時帰国。
弟が誕生すると、家族揃って日本で暮らすため、森崎ウィンさんも日本に来日することになったのです。
10歳の時、小学4年生で森崎ウィンさんは、ミャンマーを離れ日本に来ています。
森崎ウィンの祖母との別れ
10歳年下の弟の誕生をきかっけに、家族揃って日本で暮らすことになった森崎ウィンさん。
今まで面倒を見てくれた大好きな祖母との別れでした。
森崎ウィンさんの祖母は涙を見せず、「日本はいいところだから向こうで頑張りなさい。」と送り出したそうです。
祖母は孫との別れ、喪失感は半端なく、数か月ほど立ち直れず仏教で心を整える日々を送ったと言います。
日本の小学校に転入した森崎ウィンさんは日本語が出来ずに、いじめられる日々を送っていたそうです。
しかし、母親は教育熱心で厳しかったため、「学校に行きたくない」と言っても聞き入れてもらえず、逃げ場がない状況でした。
そのような環境から自然に森崎は、「闘うしかない」と思い始め、それが糧となり負けず嫌いの性格が自分を強くしていったと言います。
徐々に日本の学校にも慣れ、中学2年生になった時に、現在の所属事務所スターダストプロモーションにスカウトされ、芸能界入りを果たしています。
森崎ウィンさんの生後間もなく祖母に預けられ、両親と離れ離れに暮らしていたと言う、少し変わった生い立ちでした。
幼い森崎ウィンさんの両親と離れ離れの暮らしですが、祖母の存在はどれほど大きかったことでしょう。
ちなみに、森崎ウィンさん本名も「ウィン」は祖母が名付けたそうです。
ミャンマー語で「ウィン」は「明るい」を意味するそうです。
次に森崎ウィンさんの学歴と経歴を見てみましょう。
森崎ウィンの学歴は大学進学するも卒業できず
森崎ウィンさんは小学校4年生で都内の公立の小学校に転入しています。
森崎ウィンさんが通った小学校と中学校は公立であることのみ分かっていますが、学校名までは公開されていません。
また、中学校ではサッカー部に所属しており、将来はサッカーで有名になりたいと思っていたそうです。
中学2年生の時にサッカーの試合の帰りに、恵比寿のスーパー「ピーコックストア」でスカウトされたことがきっかけで芸能界入りになりました。
ちなみに、この時好きな女の子と待ち合わせをしていたそうです。
中学校で待ち合わせですから、おませな感じですね。
森崎ウィンさんの出身高校は、東京都立第一商業高等学校(偏差値は44~45程度)。
高校卒業後は大学に進学しています。
森崎ウィンさんは大学から本格的に芸能活動を行っていたため、4年間大学に通うもの卒業には至らなかったそうです。
芸能界で知名度も上がり、多忙な日々を送るようになったため、学業と芸能活動の両立には無理が生じたようですね。
森崎ウィンの経歴
中学2年生で芸能界入りをした森崎ウィンさん。
歌手活動からスタートしています。
森崎ウィンさんの主な経歴です。
- 小学校4年生で来日
- 中学2年生でスカウトされる
- 2008年: ダンス&ボーカルユニット「PRIZMAX」(現在は解散)に加入
- 2018年: ハリウッド映画(スピルバーグ監督)で主要キャスト抜擢
- 2020年: MORISAKI WIN名義でアーティストとしてメジャーデビュー
- 2020年: 映画『蜜蜂と遠雷』で第43回日本アカデミー賞新人俳優賞
- 2023年: NHK大河ドラマ『どうする家康』で徳川秀忠役
森崎ウィンさんは歌手活動から現在は大河ドラマからハリウッド映画など、幅広く活躍する俳優さんとして注目されています。
まとめ・森崎ウィンのハーフ説と両親について
森崎ウィンさんのハーフ説と両親について紹介しました。
森崎ウィンさんはハーフではありませんでした。
生っ粋のミャンマー人でした。
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