大御所タレントとして名高いタレントの高田純次さん。
そんな高田純次さんですが、現在の成功された姿からは想像しがたいですが、下積み時代が長く苦労されたのだとか。
そんな下積み時代の高田純次さんをずっと支えてきたお嫁さんはどのような方なのでしょうか。
この記事では高田純次さんのお嫁さんについてまとめています。
高田純次のお嫁さん
高田純次さんのお嫁さんは、高田勢子さん。
高田勢子さんは一般人ということで詳しい情報はあまり出ていません。
分かっていることがこちら。
- 1948年生まれ
- 日本舞踊の師範
高田純次さんのお嫁さんは、1948年生まれで高田純次さんよりも一つ年下だそうです。
2025年で77歳になるようです。
高田純次さんのお嫁さんは日本舞踊の師範を取得されています。
日本舞踊の師範は数年から十数年の修行が必要だと言われています。
長い年月をかけて磨きをかけながら取得していくことを考えると、高田純次さんのお嫁さんも長い年月をかけて日本舞踊に打ち込んできたことでしょう。
また、日本舞踊の師範ということで、礼儀作法や日本の和文化の知識、着物の着付けなど、細やかな所作も身につけている品格のある女性であることが想像つきます。
高田純次さんの若かりしき頃のお嫁さんの画像がこちら。

出典:https://tanosiiseikatu.com/
かなり若い頃の画像ですが、笑顔が素敵なお嫁さんですね。
こちらの画像は、1984年に花王ソフトワンダフルのCMに家族で出演されていた当時の写真です。
華やかさがあり、女優さんのようなオーラが感じられますね。
同じ1984年に、エバラ焼き肉のたれでも家族でCM出演をしています。

出典:https://xn--o9j0bk9502af6a074bi40d7kf59d.com/
高田純次とお嫁さんの馴れ初め
高田純次さんが結婚したのは、1973年です。
高田純次さんは結婚当時26歳で役者を目指して劇団を渡り歩いている時でした。
高田純次さんは2014年7月4日に「徹子の部屋」に出演。
2023年に金婚式を迎えたことに対して、徹子さんから馴れ初めを聞かれ、「気が付いたら横にいた感じ。」と述べています。
「気が付いたら横にいた感じ。」とした上で、お嫁さんとの馴れ初めは、日本舞踊をやっていたお嫁さんの舞台を知り合いを通して見に行き、そこで知り合ったそうです。
舞台の公演が終わってから話す機会があり、そこから付き合うようになったと。
高田純次さんは著書の中で、「奥さんの胸が大きかったから結婚した」と書います。
実際には奥さんの人柄に惹かれたようです。
高田純次の結婚当初
結婚当時、役者を目指し劇団を渡り歩いていた高田純次さんですが、結婚後は家族を養うために一度役者の道を諦め、サラリーマン生活を送っています。
高田純次さんは、御徒町にある宝石会社に入社。
この会社では営業や接客に、ジュエリーのデザインも手掛けたそうです。
元々、高田純次さんは大学受験を失敗しており、高校卒業後は東京デザイナー学院に進学し、デザインを学んでいました。
宝石会社ではダイヤモンド鑑定士の資格を取得したり、取引先からの評判もよく成績優秀の社員として頭角を現していきました。
入社2年目でデザイン室の主任に昇格。
その後、1976年に長女が誕生するなど、順風漫歩に結婚生活は進んでいきました。
しかし、後に柄本明さんとベンガルさんに偶然に居酒屋で再会。
二人の生き生きした姿を見て、役者の道を諦めたことを後悔し始めます。
その後、劇団からオファーがきて、奥さんの大反対を押し切り、宝石会社を退職。
再び役者の道を歩み始めたのです。
安定した稼ぎを得ていた宝石会社を辞めることになった当時の様子を次のように顧みています。
「女房には泣きながら罵声を浴びせられたよ。『これからどうするの!』って何があっても家族は食わすから」と妻に約束し、東京乾電池に合流します。「家族を食わすためなら犯罪以外の仕事は何でもした」らしく、4トントラックの運転手として働いていた時期もありました。
引用元:エントピ
高田純次さんは、役者を目指しながら数々のバイトを掛け持し、時には悩むこともあり、そんな時に奥さんからは、
「悩むより少しでも給料のいいバイトしてミルク代を稼いで!」
と叱咤激励されながら家族を養うために深夜の道路工事など少しでも稼げるバイトで食いつないでいたそうです。
現在の芸能人として成功した高田純次さんの姿から、このような下積み時代があったとは思いもよりませんでした。
このような下積み時代で苦労した人は強いですね。
高田純次さんは40歳の時、グロンサンの「5時から男」のCMでブレイク。
その後、「天才てれび!たけしの元気が出るテレビ」に出演するようになり、42歳にして普通のサラリーマン位の給料を得られるようになったと言うことです。
高田純次の娘
高田純次さんには二人の娘さんがいます。
- 長女: 祐子さん(1976年生まれ)
- 次女: 聡美さん(1979年?生まれ)
前述したように、娘さんが幼い頃は家族四人でCMに出演しています。
また、長女さんとはNHKみんなのうたでCDも出ています。
1985年8月5日に発売された「お風呂のうた」は祐子さんが歌い、「パパのうた」を高田純次さんが歌っています。
- おふろのうた
- 作詞:秋元康、作曲:市川都、編曲:小林信吾、歌:高田祐子
- パパのうた
- 作詞:秋元康、作曲:市川都、編曲:小林信吾、歌:高田純次
引用元:ウィキペディア
高田純次の長女
高田純次さんの長女の祐子さんは現在、ファッションデザイナーとして活躍しています。
文化服装学院を卒業後に国内ブランドを経てロンドンに渡り、ロンドンコレクションやミラノコレクションにアシスタントとして参加。
帰国後、自身のブランド「タージ」を設立。
出版したソーイングブック3冊は、フランス語、英語、中国語版に翻訳されており、海外でも評判だそう。
また、自身のブランドの他に、百貨店やアパレル会社にデザインを提供したり、企業のユニフォームのデザインをしたり幅広く活躍されています。
高田純次の次女
高田純次さんの次女は聡美さん。
高田純次さんの次女聡美さんは銅版画家として活躍しているそうです。
そして現在、高田純次さんと同居されているのが次女さんなんですね。
高田純次さんと奥さん、そして次女夫婦と男の子のお孫さんの5人家族だそうです。
お孫さんは2025年の春に高校生になるそう。
サッカー好きだと言うことです。
高田純次と奥さんの関係
最期に、高田純次さんと奥さんの上下関係と言うか、かかあ天下のエピソードを紹介しておきます。
家では奥さんの方が強いようで、ほぼ毎日のように文句を言われていると。
その内容がこちら。
- 洗濯物を取り込まない
- ドアが開いている
- カーテン閉めない
- もうすぐ永眠するのにうたた寝ばかりしている
- トイレに行っちゃ長い
このような小言を言われているそうです。
そして、夕食時に帰宅ともなると奥さんの期限がすこぶる悪くなるのだとか。
そのため、なるべく遅く帰宅するようにしているそうです。
主婦的には、高田純次さんの奥さんにとても共感を感じるようなエピソードです。
金婚式を迎えても夫婦円満の秘訣は、「かかあ天下」にあるのかもしれませんね。
まとめ
高田純次さんのお嫁さんについて紹介しました。
高田純次さんの奥さんは一般人で過去には日本舞踊をされており、師範の資格を持つ方でした。
最期までお読みいただきありがとうございます。
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