歴代2位の350勝を挙げた大投手で2000年に殿堂入りを果たした元プロ野球選手の米田哲也さん。
輝かしい過去の実績が重荷になっているのか、最近はあまりよろしくないニュースを耳にします。
「米田哲也さん、家族いないの?」そんな疑問さえ浮かんできます。
そこで、この記事では米田哲也さんのお嫁さんや家族についてまとめています。
この記事のポイント
- 米田哲也の妻について
- 米田哲也の引退後の生活
- 米田哲也に家族はいないのか?
米田哲也の妻は元女優
2000年の野球界の殿堂入りを果たした米田哲也さん。
米田哲也さんが現役時代に挙げた通算350勝は歴代2位の記録として現在も残っています。
そんな米田哲也さんの現役時代の選手生活を支えたのが妻の食事管理だったと言われています。
米田哲也さんの妻は松竹の元映画女優であることが公表されています。
しかし、米田哲也さんの妻の名前や顔などは明かされておらず、「元松竹の映画女優」とウィキペディアに記載されています。
無名の女優さんであった可能性も大きそうです。
米田哲也さんと元女優の妻は、後に離婚しているとの情報が出ています。
前述した通り、現役時代は徹底した食事管理で米田哲也さんを支えていたことが有名ですので、現役引退後に離婚した可能性が大きいかと思います。
米田哲也さんは現役時代から銀座の常連で遊びも派手なことでも有名だったようです。
また、女性にもモテていたと評判です。
このような背景からも、元女優の妻が嫌気をさしてしまったことも考えられるのではないでしょうか。
米田哲也の妻の食事管理
米田哲也さんの元女優の妻の食事サポートは球界でも有名なエピソードとして語られていたようです。
米田哲也さんの元女優の妻の徹底した食事管理がこちら。
1968年、阪急の米田哲也は7月17日に早くも4号。この時点でチーム最多が長池徳二の13本だから相当なものです。 pic.twitter.com/Kgwb98horD
— ベースボール・マガジン社【出版野球担当】 (@baseball_BBM) September 19, 2024
妻の徹底した食事管理で米田哲也さんは、球界ではタフマンで一躍有名に。
また、米田哲也さんは酒豪でも知られ、朝まで飲んでお酒の匂いをプンプンさせながら球場入りし、そのまま完投勝利を挙げたこともあったのです。
そんな米田哲也さんについたニックネームが、「ガソリンタンク」だったのです。
米田哲也さんのスタミナは妻の徹底した食事管理の恩恵も大きかったことでしょう。
米田哲也の引退後
米田哲也さんは現役引退後、野球評論家をしながら兵庫県西宮市でスナックを経営していました。
スナックの店名は、通算350勝にちなんで、「セナ350」。
このスナックでは元女優の妻もママとしてお店に立っていたようです。
また、6人から7人ほどの従業員も雇っていたとのこと。
当時は地元の常連客で賑わっていたようですが、徐々に経営も先細りとなり閉店に至っています。
米田哲也さんは、地元の慈善活動などにも積極的に参加していたようですが、スナックの経営が借金に結び付き、自宅も差し押さえられるなど、窮地に追い込まれていったようです。
現在は兵庫県尼崎市の集合住宅に住んでいるとの情報がありました。
米田哲也の現在の家族は
米田哲也さんと離婚したと言われる元女優の妻の間に子供がいたのかはわかっていません。
米田哲也さんが現在暮らしている尼崎市の集合住宅の近隣住民の話によると、米田哲也さんは奥さんと暮らしていると言うことで、独居生活でないことは明らかになっています。
ただ、この近隣住民が言う「奥さん」と言うのは、元妻なのか、または再婚相手なのか、またはただ単に同棲している女性なのかは定かでありません。
元妻の可能性はかなり低いと思われます。
現役時代から女性にモテていた米田哲也さんですから、高齢になってもいつも女性がそばにいるのが自然な流れでついていくのだと思います。
まとめ・米田哲也の妻は元女優と現在の家族について
2000年に野球界の殿堂入りを果たした米田哲也さんの妻について紹介しました。
米田哲也さんの妻は松竹の元映画女優で、後に離婚していました。
子供の存在は明かされていませんが、現在は尼崎市の集合住宅で女性と暮らしており、独居生活ではありませんでした。
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