ヴァイオリニストでタレントとしても人気の高嶋ちさ子さん。
高嶋ちさ子さんの家族はバラエティー番組などにも何度か登場しておりダウン症のお姉さんや父親とのやりとりも毒舌全開で毎回楽しく拝見しています。
そんな明るい家庭に育った高嶋ちさ子さんですが、母親は既に他界しているんですね。
そこで、この記事では高嶋ちさ子さんの母親の死因について調査してみました。
また、高嶋ちさ子さんの母親の死因と一緒に晩年と葬儀での思わずクスっと笑えるエピソードも合わせて紹介します。
高嶋ちさ子の母親の死因

出典:ねとらば
高嶋ちさ子さんの母親(高嶋薫子さん)は2017年8月29日に79歳でこの世を去っています。
命日が8月29日で、29日は「肉の日」。
高嶋ちさ子さんの母親はお肉が大好きだったそうで、高嶋ちさ子さんは「お肉が大好きだった母にピッタリの日に亡くなりました。」とインスタグラムに綴っています。
高嶋ちさ子さんの母親は、難病に指定されている「間質性肺炎」に罹患。
当初、医師から間質性肺炎と診断された時、余命2ヶ月と言われたそうです。
高嶋ちさ子さんは母親が亡くなってから一度も涙を流していないと打ち明けていますが、実は間質性肺炎と診断された時は、一週間何をしていても涙が止まらなかったと言います。
身近な人や大好きな人と永遠の別れを経験した人にとって、その愛する人が息を引き取った瞬間も悲しいことですが、息を引き取る前、余命を言い渡された時とか、食事が取れなくなり医師から現状の説明を受けた時の瞬間なども胸がギュッと痛くなるような、締め付けられるような、体ごと崩れ落ちそうな、、、とにかく深い悲しみを感じます。
死事態も悲しくショッキングですが、治る見込みがないこと、もう少ししか時間がないことの告知を受けた時の方が心の傷口は深いと言っても過言ではないでしょう。
高嶋ちさ子さんの母親は余命2ヶ月と診断されましたが、その後状態は回復に向かい、約2年半寝たきり状態ではあったようですが、生き延びました。
最終的に高嶋ちさ子さんの母親の死因は難病指定されている間質性肺炎が元で亡くなったと言うことです。
高嶋ちさ子さんの母親はフルーツが大好きで、食事がとれなくなり最後に口にしたのが近江屋洋菓子店のフルーツポンチだったそうです。
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高嶋ちさ子の母親の晩年のエピソード
高嶋ちさ子さんファミリーと言えば常に毒舌が飛び交っており、賑やかな雰囲気が伝わってきますね。
ダウン症の姉未知子さんも高嶋ちさ子さんに負けず劣らずと言ったところでしょうか。
どうやら、高嶋ちさ子さと未知子さんの性格は、母親似のようです。
高嶋ちさ子さんの母親は、ピアニストでピアノと麻雀が大好きな方だったそう。
家庭内では躾が厳しい母親だったそうですが、ダウン症である未知子さんのことをいつも気にかけていたそうです。
高嶋ちさ子さんには、ダウン症の未知子さんの面倒をみてもらうために、ちさ子さんを産んだと言い聞かせていたとのこと。
口癖は、「未知子を残して死ねない。」で、常日頃から口にしていたそうです。
高嶋ちさ子さんの母親の容態が悪化した時に、ちさ子さんは母親に、「みっちゃんを残して死ねないって言ってたでしょう!」と激しい口調で元気づけようとしたそうです。
すると、母親から返ってきた言葉が、「もうしょうがないじゃないよ!」と返答。
そして、「未知子、お母さんと一緒に死のう!」と。
未知子さんは、「嫌だって言ってるでしょう!」と返答。
最期の最期まで、毒舌バトルが続いたそうです。
このようなやり取りからも、高嶋ちさ子さんの毒舌ぶりは母親似であることが分かりますね。
高嶋ちさ子の母親の葬儀のエピソード

出典:https://tpmusic.livedoor.blog/
約2年半の寝たきり状態の末、この世を去った高嶋ちさ子さんの母親、薫子さん。
薫子さんの葬儀でも不謹慎ですが、クスっと笑えるエピソードが残っています。
棺に故人の好きだったモノを入れる際、数独の本を入れてあげようとなったそうです。
すると、父親が、「筆記用具も入れなければ、数独が解けないだろう。」と騒ぎになったとのこと。
また、母親が一番好きだったモノを入れてあげようとなった時に、高嶋ちさ子さんのお兄さんが、「みっちゃんじゃね。」と一言。
すると、未知子さんは、「そんなの嫌に決まっているでしょ。」と。
最期の最期まで明るく賑やかに、薫子さんを送り出すことが出来たようです。
高嶋ちさ子さんの母親、薫子さんは、自分の命が長くないことを悟っており、告別式は行わず、一年後偲ぶ会をやればいいと口にしていたそうです。
そして、チラシの裏に偲ぶ会に呼ぶ人と呼ばない人の名前を記入。
お見舞いに来た人が、自分好みのお見舞いを持ってきてくれた人は呼ぶ側に書き直し、気に入らないものを持ってきた人には呼ばないリストに名前を記入したりと、微笑ましいエピソードを残しています。
このようなエピソードからっも、高嶋ちさ子さんが笑いとケンカの絶えない明るい家庭に育ったことが伺えますね。
高嶋ちさ子の母親
出典:ポストセブン
高嶋ちさ子さんの母親は、ピアニストだったそうです。
高嶋ちさ子さんの父親と薫子さんが出会ったのは、東芝レコードで、父親が東芝レコードにいた時に、新入社員で薫子さんが入社してきて出会っています。
当時の薫子さんは可愛らしく頭のキレる社員だったそう。
また、話も面白く、藝大を目指していたということで、音楽の話で話題も盛り上がったそうです。
1962年、父親が27歳、薫子さんが25歳で結婚し、一男二女の子供が誕生しています。
ピアニストの母親の影響で、ちさ子さんは4歳からピアノを習わされたとのこと。
しかし、すぐに母親から「才能がない!」と、強制的にピアノを辞めさせられる事態に。
その後、幼稚園になりヴァイオリンを弾く友達に憧れて、母親にヴァイオリンを習いたいと直訴するも、ピアノも出来ない子にヴァイオリンは無理と言われる始末。
しかし、それでも諦めず一年間懇願し続けた結果、やっとのことで許可がおりたそうです。
その後は、母親のスパルタ的な教育もあり、見事にヴァイオリニストの階段を登り切っています。
また、本腰を入れて高嶋ちさ子さんにヴァイオリンを習わせた背景には、やがて未知子さんの面倒を見るためにヴァイオリニストになってしっかり稼いでもらいたいとの、三知子さんを心配する親心がしっかりと組み込まれていたのです。
私生活での薫子さんは、司馬遼太郎や立原正秋を愛読し、ナンプレの数独を解き、DSで麻雀を楽しんでいたそうです。
激しくも凛々しく、教養もあり、明るく素敵な母親だったことでしょう。
まとめ・高嶋ちさ子の母親の死因について
高嶋ちさ子さんの母親の死因や晩年、葬儀にまつわるエピソードも交えて紹介しました。
高嶋ちさ子さんの母親の死因は難病指定されている間質性肺炎が原因でした。
高嶋ちさ子さんや姉の三知子さんの激しい性格は母親譲りであるようです。



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