小泉八雲の妻・小泉セツはどんな人だった?一生涯を簡潔に紹介!

小泉八雲の妻・小泉セツはどんな人だった?一生涯を簡潔に紹介! エンタメ

本ページはプロモーションが含まれています

PR

「雪女」や「耳成芳一」などの怪談作家として有名な小泉八雲。

小泉八雲はアイルランド系ギリシャ出身ですが、小泉セツと結婚して日本国籍を取得しています。

小泉八雲の執筆活動を支えた小泉セツとはどのような人だったのでしょうか。

この記事では、小泉八雲の妻・小泉セツがどんな人だったのか、小泉セツの一生涯を簡潔にまとめてみました。

どうぞ最後までご覧ください。

PR

小泉セツの生い立ち

小泉八雲嫁どんな人

小泉セツは1868年(慶応4年)2月4日に島根県松江市に6人兄弟の次女として誕生しています。

 

小泉セツの父親は家禄300石の小泉八右エ門湊で出雲松平家の番頭でした。

6人兄弟の次女に誕生したセツは生後7日目で、子供がいなかった家禄100石の稲垣家の養女となっています。

家禄とは武士のランク付けのことで、300石あると家臣を雇える程の余裕がありました。

 

小泉セツは家禄300石の士族の家柄に誕生し、すぐに養女に出されましたが、養女に出された家柄も良く、裕福な家庭に育っていたことが分かります。

 

小泉セツは幼い頃から物語が大好きで、大人たちから昔話や伝説を聞くのを大変楽しみにしていたそうです。

この幼い頃の物語好きの経験が後に小泉八雲の作品にも大きく影響を及ぼすことになります。

 

小泉セツは士族の家柄に養女に入り裕福な生活を送っていましたが、明治維新で家禄制度が廃止されると養女に出された先の稲垣家は没落。

生活は一変し困窮します。

 

セツは小学校を優秀な成績で卒業したにも関わらず、上級学校への進学は諦めなければなりませんでした。

11歳でセツは生家の父親が興した機織会社で織子として働き始めます。

後にセツは機織りばかりしていたため、手と足が太くなったと述べています。

 

小泉セツの生い立ちは300石の士族の家柄に誕生し、養女に出されますが、生い立ちは裕福な環境で育っていました。

スポンサーリンク

小泉セツの最初の結婚

小泉セツが18歳になると縁談の話が浮上しました。

稲垣家は士族の前田為二をセツの婿養子に迎えます。

しかし、当時は稲垣家は明治維新で没落しており生活は苦しく、婿養子に入った前田為二はあまりの困窮に耐えられず一年足らずで出ていきます。

セツが22歳になると前田為二との婚姻関係を正式に解消。

再び小泉家に復籍します。

しかし、小泉家も生活は苦しく、セツは松江で英語教師をしていた小泉八雲の住み込み女中として働き始めます。

 

小泉八雲の家で住み込み女中として働いていたセツは、やがて小泉八雲と恋仲になり、二人は結婚。

1891年8月のことでした。

小泉セツ23歳でした。

小泉八雲嫁どんな人?

出典: 焼津市観光協会

小泉セツの英語力は?

外国人英語教師と結婚した小泉セツ。

気になるのは、セツの英語力です。

小泉八雲は片言の日本語しか話せなかったと言います。

それに対してセツは八雲と意思疎通をはかるため、英語を勉強したけれど結局のところ英語はモノにならなかったと言います。

 

小泉八雲が話す片言の日本語は、「ヘルンさん言葉」と親しまれ、セツは八雲の片言の日本語を性格に理解していたため、夫婦の意思疎通は全く問題なかったそう。

 

セツは、小泉八雲が日本での生活に慣れるのを助け、日常生活全般を支えました。

料理や家事を担当するだけでなく、伝統的な生活習慣や日本文化の細かいルールを教えることで、八雲が安心して創作活動に集中できる環境を整えました。

小泉八雲とセツの間には4人の子供が誕生しています。

 

  • 長男:小泉一雄(こいずみ かずお)
    1893年生まれ。八雲の回想録などを出版するなど家族の歴史を後世に残しています。

  • 次男:稲垣巌(いながき いわお)
    1897年生まれ。幼少時に母セツの養家である稲垣家を継ぎ「稲垣」を名乗りました。教育者として活動しました。

  • 三男:小泉清(こいずみ きよし)
    1899年生まれ。東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業し、画家として活躍しました。

  • 長女:小泉寿々子(こいずみ すずこ)
    1903年生まれ。幼少期に病気を患った記録が残っています。

 

小泉八雲の死去

小泉八雲は仕事の関係で島根の松江から熊本県熊本市、そして兵庫県神戸市、最後は東京の牛込、最後は西大久保に転居を繰り返してきました。

小泉八雲は最後の転居地、西大久保に引っ越した1902年頃から体調を崩し、1904年(明治37年)9月26日に54歳で死去しています。

セツ36歳でした。

 

結局、小泉八雲とセツの結婚生活は13年程でした。

 

小泉八雲は、「遺産は全て妻に譲る」との遺言状を残していました。

そのため、セツは八雲が亡くなった後は、生活に困ることなく4人の子供たちを育て上げました。

スポンサーリンク

小泉セツの死因

小泉セツの晩年は動脈硬化に悩まされていたと言います。

何度か脳溢血で倒れることもありました。

そして1932年(昭和7年)2月18日に64歳で死去しています。

死因は脳溢血とされています。

 

小泉セツは夫の八雲と共に雑司ヶ谷霊園で安らかに眠っています。

雑司ヶ谷霊園は、夏目漱石や永井荷風、泉鏡花、竹久夢二、小泉八雲、ジョン万次郎などといった名だたる著名人の墓が並んでいます。

雑司ヶ谷霊園

まとめ・小泉セツはどんな人だったのか

小泉八雲の妻、小泉セツについてどんな人だったのかを、生涯に渡って簡単に紹介しました。

小泉八雲の作品に大きな影響を及ぼした小泉セツは、士族の家柄に生まれていました。

 

小泉八雲とセツのゆかりの地焼津市小泉記念館についてはこちら↓

小泉八雲記念館

 

 

 

 

PR
エンタメ
スポンサーリンク
PR

コメント